性は日常の延長
セックスをすると
熱い何かがこみ上げてくる。
目が合う。
微笑と、泣きたくなるような幸福感がこみ上げてくる。
誰にともなく感謝したくなる。
ありがとうって、本気で思う。
生きてるってこと、それ自体に思いを馳せることができる。
性は日常の延長でにしかない。
日常の歪みは性に現れ、日常での肯定が性で表現される。
じゃあ、逆はどうだろう。
私は日常、あんな風に誰かを優しく見つめたり、
あんな風に幸せに微笑んだりしてるだろうか。
何故、あの瞬間に流れる穏やかな時間が、
日常では存在しないような気がするんだろうか。
性は決して特別なものじゃないはずなのに。
日常から性へ。そして性から日常へ。
当たり前のように巡ることを忘れて、
どうして性だけ切り離して「特別」なんて思うんだろう。