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あきパパのつぶやき

読み聞かせとカラオケ

最近の子どもは、胎教にはじまり、学校、塾、テレビなどと外から得られる(与えられる)情報ばかりで、自らの意志で本を読むこともない。

本を読まない子に「読み聞かせ」をという運動が全国的に展開されている。

ところが「最近の読み聞かせの現場」をみると、「与えすぎ?」ではないかと思うことがある。
読み聞かせの目的である「生きものとしての感動」を体験し、自らの意志で本を読むということを、聞かせている側も、聞いている側も忘れてはいないか。
読み聞かせする側は、自分の読み聞かせに醉って、聞いている側もそれを聞いて拍手をする。感想を聞いても「楽しかった」、「上手だった」とまるで「カラオケ」状態。

「カラオケでいかに高得点と出すかを競っている現場」と、「読み聞かせの場」がリンクして見える。
読み聞かせは本を読んだことのない子どもに本と接する機会を与えるのに効果的であるが、これは本来家庭での仕事ではなかったのではないか。
また「読み聞かせ」が本来の目的を失ってテレビのように「本は読むものではなく読んでもらう」という誤った認識を子ども植え付けないかを危惧している。
「本を読む技術」だけではなく「いかに子どもが自ら本を読む様になるか」の検討をし、それをベースとした「読み聞かせ運動」を展開してほしい。