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あきパパのつぶやき

東洋と西洋の科学・環境に対する考え

東洋と西洋の科学・環境に対する考え

 原発事故をうけてあらためて考えた。

科学というのは、近代になってヨーロッパで生まれた概念だが、科学には、あらゆるものを二つに分けて、物事を分析的に考える傾向がある。
それが顕著なものは、世界を人間と自然に分けてしまう考え方である。

東洋、つまり中国や日本では、人間は自然の一部であると考える。自然に囲まれて、自然の中で生きるのが人間であって、人間が幸せというのは、自然の中で生きて、死んだら土になって自然に変えることである、と考える。そのため、自然との一体感の中で生きている。自然と人間を連続したものと考えているのである。

ところが、西洋人にそう考える人は少ない。自然は人間にとっての脅威であり、人間が改造できるものであると考える。自然をもっと暮らしやすいものに変えるものが人間の知恵であり、科学であると考える。
そのような西洋人の考え方から、人々は人間が自然に囲まれていることを忘れ、自然を人間のために利用しようとして、結果的には破壊がもたらされた。つまり、環境破戒の原因は人間と自然を対立したものと考えた科学のあり方にあるということができる。

しかし、環境破壊と科学の関係を考える上でさらに重大なことは、現在、科学技術が人間のコントロールを離れて一人歩きしていることである。

一言で言えば、発達させる必要のないものや人間の役に立たないものまでが次々に開発されていることである。現在生まれてくる技術のほとんどは、経済的な競争などから生まれるだけであって、必ずしも人間の生活に不可欠なものとはいえないのである。