プラトニックな関係は絵空事に過ぎない
恋には、どうしてもセックスがつきまとう。
プラトニックな関係は絵空事に過ぎない。
恋に性欲は、不可欠だ。
恋と性欲は、直接的に結びつく。
性欲には、男女の質の違いはあれど、その存在に男女差はない。
違いがあるとすれば
男は、恋した女と寝たい。女は、寝た男と恋がしたい。
しかし男は、恋していない女と寝ることもできるから、
寝たからと言って恋にはならない。
女も、男が自分の恋の条件に合わないと、寝たからと言って恋にはならない。
恋と性欲が結びつくのは、
恋した女と寝た男が、女の恋の条件を持ち合わせているときだけだ。
恋に性欲が不可欠だからと言って、性欲に恋は不可欠ではない。
恋と性欲が直接的に結びつくからと言って、
性欲を満たすためだけのセックスは、男女ともになかなか恋を生み出さない。
恋を生み出さない性欲だけのセックスは、
男には虚しさを残し、女には寂しさを残す。
性欲とも恋とも関係なく、別の理由で寝た時は、男にも女にも禍根を残す。
恋にもならず、虚しさも寂しさも残さないが、男も女も心に消せない傷を残す。
忘れることはできても、消すことはできない禍根を残す。
故に、性欲だけのセックスは、男と女の心をすり減らす。
そういうセックスを繰り返せば、男も女も恋する心を失っていく。
性は日常の延長
セックスをすると
熱い何かがこみ上げてくる。
目が合う。
微笑と、泣きたくなるような幸福感がこみ上げてくる。
誰にともなく感謝したくなる。
ありがとうって、本気で思う。
生きてるってこと、それ自体に思いを馳せることができる。
性は日常の延長でにしかない。
日常の歪みは性に現れ、日常での肯定が性で表現される。
じゃあ、逆はどうだろう。
私は日常、あんな風に誰かを優しく見つめたり、
あんな風に幸せに微笑んだりしてるだろうか。
何故、あの瞬間に流れる穏やかな時間が、
日常では存在しないような気がするんだろうか。
性は決して特別なものじゃないはずなのに。
日常から性へ。そして性から日常へ。
当たり前のように巡ることを忘れて、
どうして性だけ切り離して「特別」なんて思うんだろう。
嫉妬(悋気)は、恋のスパイス
嫉妬は、適度であれば、恋のスパイスとなります。
強すぎる嫉妬は、恋を終わり向かわせます。
強い嫉妬は、自分に自信がないから生まれてくる感情です。
強い嫉妬は相手を「疑う」。
恋は楽しむものなのに、相手を疑うためだけに一緒にいるような人がいます。
自分に自信のない人は、優しくしてくれる人がいると、いい気分を味わい続け
たいばかりに、その人に執着し始めます。
その執着が強い嫉妬としてあらわれます。
また、恋人を「利用価値があるか」という面だけでしか見ていない人は、
自分も利用され。恋は終わるだけです。
また、
恋人を生身の人間として見ようとせず、「こういう人であってほしい」という
願望ばかりを押しつけている。
これも恋を終わらせる方向にベクトルを向かわせます。
本当に恋人は優しい人なの?
互いを思いやり、優しく接するということは、恋人同士としての最低条件です。
恋人が本当に優しい人であるかを見極めるには、自分以外の人にどう接しているかを
みなくてはいけません。
「私だけを見て」と強要し、自分だけに優しくしてくれていれば満足、というような
恋は、必ず終わります。
恋を持続させるためには、「どれだけふたり以外に豊かな人間関係を結ぶことができ
るか」にかかっているます。
恋人以外の人との関係が、その人の心を豊かにし、恋人への思いやりをふくらませます。
「自分をどう思ってくれるか」ではなく、自分以外の人への接し方で、相手の人
間性をみることができます。
誰に対してもやさしくできる人こそが、優しい恋人です。
胸のドキドキ
運動をすると体の酸素必要量が増加します。それに応じて、心臓が収縮回数
(心拍数)の増加と収縮する力を増して一回の収縮で送りだす血液の量を増大させ
ます。
その結果、1分間当たりに心臓から送りだされる血液量が増加し、酸素を各部位
に運ぶ血液を送りだす心臓の働きが高まります。その状態を私たちはドキドキと
感じるのです。
恋をすると感情の高まりに関する中枢神経系の活動が活発になり、精神が高揚しま
す。さらに、自律神経も交感神経が優位の状態になり、運動したときのように胸がド
キドキします。さらに、このドキドキは運動したときとは違い、心臓の筋肉に栄養を
供給している冠動脈がその心臓のドキドキに見合って十分拡張しない場合があります。
すると、心筋に血液が十分に供給されない、すなわち軽い狭心症のような状態になっ
て胸がキュンとすることがあります。これが胸キュンの正体です。さらに手がふるえ
たり、手のひらに汗をかくのも交感神経の働きによるものです。
精神的な緊張でも心臓がドキドキします。この時には交感神経終末からノルアドレ
ナリンという神経の情報伝達物質が分泌されて心臓をドキドキさせています。
女の子よ銃を取れ
娘が忘れていった「雨宮まみ」の本、『女の子よ銃を取れ』平凡社。
カウンセリングをしていると女の子は「主役」になりたと願望が強い。
この本はそんな「主役になれない女の子たち」に対して、
知らず知らずのうちに周りを取り囲んでいる3つの壁ついて気付かせようという意図が感じられる。
一つ目はセルフイメージの思い込みによる「自分自身の壁」。
二つ目は「かわいい」が基準となったり、ファッションがその人の価値観や社会的イメージを規定する
日本社会の「他人の視線の壁」。
三つ目は具体的に服装やメイクが似合う/似合わないについて思い悩む「失敗や不安の壁」。
これらはいずれも外から押しつけられたり自ら規定してしまっている壁であり、
今の自分に一番合ったものを自分で選ぶことが
今の「生きづらさ」から逃れて「自由に生きること」”へとつながると述べている。
この本、心身ともにマッサージを受けている感じがした。
記憶がフラッシュバックする「プルースト効果」
嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び起こされる心理現象のことを言います。
名前の由来は、フランスの文豪「マルセル・プルースト」。
彼の小説『失われたときを求めて』の中で、主人公が紅茶にマドレーヌを浸したときに、
その香りを嗅いで幼少期の記憶がよみがえるシーンがあり、その描写が元となっています。
かつての文豪が描いたこの不思議な現象は、
科学の力によって次第に解明されてきました。
いまだに謎が多い脳のメカニズムですが、
「におい」から思い出される記憶は他の感覚器からの刺激よりも
情動的な反応を引き起こす、ということも分かってきています。
■「嗅覚」は、五感の中でも特殊な存在
「におい」を感知する「嗅覚」は、五感の中で唯一「大脳新皮質」を
経由しないことでも知られています。嗅覚だけは、他の五感と違って
「大脳辺縁系」(海馬・扁桃(へんとう)体など)と直接つながって
いるのです。これは、喜怒哀楽などの感情や、食欲などの本能行動な
どをつかさどる部分。つまり言い換えれば、「におい」は本能的な行
動や感情に直接作用する、ということです。
■「におい」の記憶は薄れにくい
「におい」の記憶は、視覚的な記憶に比べて忘れにくいというデータ
もあります。視覚・嗅覚それぞれの刺激における再認率と把握期間と
の関係を調べた実験では、視覚的記憶が短期間で急速に低下したのに
対し、「におい」の記憶は1年たってもほとんど変わらなかったそうです。
脳のメカニズムとの特殊な関係があり、長期間たってもなかなか薄れな
い「におい」の記憶。特に喜怒哀楽や恋愛感情などに結びついた記憶は、
「におい」との関係性が強いと言えそうです。今後「ずっと忘れたくな
い」と思う出来事があれば、「におい」で覚えておくとよいかもしれません。